桶川に着きました!

桶川市教育委員会様から素晴らしいテーマを頂きました。

社寺、薬師堂、古墳(川田谷神社、八幡原八幡神社、牧野薬師堂、原山古墳、三田原氷川神社、泉福寺、松原八幡神社、樋詰氷川神社、熊野神社)
自然資源荒川太郎右衛門地区自然再生事業
文化・社会資源: 桶川民族芸能ビデオ 川田谷諏訪神社(万作おどり)、三田原氷川神社(三田原の万作の踊り、三田原のささら獅子舞)、松原八幡神社(松原の真言、松原の万作おどり、松原のささら獅子舞)
施設資源:ハートフル桶西水族館、桶川市歴史民族資料館、城山公園、桶川飛行学校・平和祈念館、、荒川の自然とホンダエアポート
桶川市は国の文化財資源などを活かした魅力発信を高める。
泉福寺の「木造阿弥陀如来坐像」は、通常は見ることができないので、デジタル技術を活用してレプリカを作り、歴史民俗資料館に展示する。
同館に隣接する道の駅(2024年)との回遊性を高める。(桶川市)
◎特産的資源:坂巻醬油店、手島農園
地域資源分類表として取り上げました企業、団体、コミュニティ様は筆者の 個人的見解 であります。

①川田谷諏訪神社(建御名方命)
(江戸時代)
[桶川市川田谷6710]
・万作おどり


②八幡原八幡神社(誉田別尊)
(江戸時代)
[桶川市川田谷1329]

・文久年間(1861-1864)に三州流の花火技法が当地の花火師に伝わり、明治から大正年間にかけて大筒を使った花火が盛んに行われ、戦時中に中断したものの、昭和48年10月の祭礼から復活し、現在も祭礼で花火が打ち上げられています。(猫の足あとより)
・現在の市内川田谷八幡原は、花火師がいた村であり、この花火は明治、大正頃には大変有名であった。この花火は、1861~64年に愛知県三河より、三州流の技法が伝わったとされいる。その後、明治10年代に様々な改良がなされ、当時の資料として「花火法」「花火法立帳」などの書物としてのこされている。この花火が盛んであった当時の打ち上げに使った大筒が境内に残されている。その後一時中断していたが、昭和48年10月の八幡神社の祭礼で復活した。(桶川市)


③牧野薬師堂(1590年)
[桶川市川田谷]

「豊臣秀吉が天下統一を果たすと家康は関東へ移ることとなり、康成は石戸領の領主となりました。川田谷のささら獅子舞は牧野氏によって盛んになったと伝えられ、獅子舞の衣装には"丸に三ツ柏"が確認できます。特に前領家地区では牧野氏の陣屋で演じたとされ、牧野氏と川田谷の人々が友好的な関係を築けた事が伺えます。」(桶川広報NO.1062より)

④原山古墳群
[桶川市川田谷]

⑤三田原氷川神社(素戔嗚尊)
(江戸時代)
[桶川市川田谷2082]


動画:桶川市ホームページより
三田原の万作(地域振興)
三田原のささら獅子舞(地域振興 )
ささら獅子舞、牧野氏

⑥泉福寺(829年平安時代・慈覚大師円仁が開山)
[桶川市川田谷2012]
・本寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡延暦寺を総本山とする天台宗の別格院であります。
東叡山とは「関東の比叡山」という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山であります。
・当山には、国指定重要文化財の阿弥陀如来座像(1262年)を始めとし、石の仁王像、雨ごいの龍などの貴重な文化財が伝えられている。
以上、桶川市看板の説明より

泉福寺は、荒川に面した高台に建つ天台宗の寺院で、緑に囲まれた広い境内には、山門 や本堂をはじめとした江戸時代以来の建物があります。
この泉福寺の阿弥陀如来坐像は、 高さ89.3cm、鎌倉時代の弘長2年(1262)に製作されたことで知られる国重要文化財が 以前は阿弥陀堂に安置されていましたが、 現在は文化財としての重要性から、耐火収蔵庫内に安置されており通常は拝観は出来ません。

⑦松原八幡神社(鎌倉時代、誉田別尊)
[桶川市川田谷1329]
3人の落ち武者(山崎、岡崎、田崎)が御神体を背負って御神体により建てられました。
田崎家は近年まで「鍵元」と称して当社の扉の鍵をを管理していました。


動画:桶川市ホームページより
松原の真言(地域振興) 
松原の万作おどり(地域振興) 
松原のささら獅子舞(地域振興)

⑧樋詰氷川神社(素戔嗚尊)
(1600年)
[桶川市川田谷215]

神社の前の道は、古くからの主要道路であったと考えられ、沿道には城館跡や寺社が数多くく残されています。(桶川市教育委員会看板説明より)
正面左側は、崖・低地となっています。 下図は地形図


⑨熊野神社(伊弉冉命)(829年平安時代)
[桶川市川田谷348]
当地は大宮台地先端の古くから古墳が多く存在するところで、当社は古墳の上に立地しています。古墳からは勾玉や紡錘車(糸を紡ぐ道具)など多数の遺物が出土しました。(国指定重要文化財)
熊野神社古墳は、荒川と江川の合流する台地状にある直径38m、高さ6mの円墳で、 円墳上に熊野神社が祀られている。
昭和3年(1928)に社殿を改築した際に、玉類、石製品、 銅製品、太刀などの副葬品が出土し、一部は失われましたが、それらは国重要文化財として、 現在、埼玉県立博物館で保管、公開されています。
桶川市歴史民俗資料館では、これらを精密 に複製したものを展示しています。昭和59年(1984)の発掘調査で出土した土器から、 4世紀後半の県内でも古い時期の古墳であることが確認されました。(桶川ウエブより)

 

◎ハートフル桶西水族館
[桶川市川田谷1531-2]

ボランティア・スピリット・ワード 16年連続受賞!

埼玉県立桶川西高等学校科学部、世界各地の淡水魚と進化が分かる生き物たち。全国で2つしかない高校水族館。県内外からも多くの見学者があります。
約50種類800匹以上の淡水魚や肺魚などの古代魚、両生類などを飼育し、顧問の先生の指導のもとに科学部の生徒が見学者に分かりやすく丁寧に解説・案内しています。(予約不要、通常は月・水・金の午後15:30~17:30))

平成28年、三角形に切った段ボール88個を切り、接着剤で組み立てたプラネタリウム「ジオデシック型ドーム(多面体の球状)」は、規模が小さいながらも(定員6名)6万個の四季折々の星座や流れ星が楽しめます。

平成29年、日本初の女性農学博士になった桶川市出身の辻村みちよの半生を描いた紙芝居を制作し、同市桶川小学校の全校朝礼で大きなスクリーンに移して紙芝居をご披露しました。

平成30年、同校科学部生徒を対象に「高校生下水道体験プログラム」が、埼玉県下水道公社とGKPの共催、メタウオーターと管路情報協同組合協賛で開催されました。水処理施設の見学に加えて、水質分析などの実施、顕微鏡による微生物観察や、分光高度計を用いたリン酸濃度の測定なども経験しました。

桶川市歴史民俗資料館
[桶川市川田谷4405-4]

関東の真ん中・大宮台地の荒川沿いの地形は、縄文時代の古墳にも恵まれ、桶川市歴史民俗資料館(川田谷)は、桶川の歴史と文化を今に伝える文化財の収集・保管及び調査研究、さらには公開普及活動を実施する地域文化財保護拠点施設となっています。(HPより) (現在、大規模改修のため休館中、R4.7.1.からR6年4月頃改修後が楽しみです。

城山公園

城山公園は、JR桶川駅西方約3.5キロメートルに位置し、公園西隣にある中世遺構「三ツ木城」が公園名の由来
約10.5ヘクタールの園内は、武蔵野の雑木林をイメージして植栽され、冒険広場や ピクニック広場など家族連れが楽しめる施設のほか、有料施設として、テニスコート (クレイ4面)、軟式野球、サッカーなどを楽しめる多目的広場(120×85m)もある。 春は、約270本以上の桜が彩ります。(桶川ウエブより)

約10万4千平方メートルあり、緑あふれる市内随一の都市公園(総合公園)
(主な施設)管理事務所、展望台、アスレチック遊具、大池、花木園など。
桶川市ホームページより

●荒川の自然と飛行場(本田航空)
[ 川島町大字出丸下郷53-1]
桶川・泉福寺から見る荒川の風景とサイクリングロード


平和桶川飛行学校祈念館
[桶川市大字川田谷2335-16]

知覧特攻平和会館 を訪ねた時は、涙が溢れて止まりませんでした。空に散った兵士の遺書でした。桶川の平和記念館は、まだ生の声は少ないのですが、建物は当時のままで想い起こします。
桶川飛行学校平和祈念館は、当時の熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の建物を活用し、平和を発信し、平和を尊重する社会の実現、及び地域の振興に寄与するための施設です。
熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)は、昭和10年に開校した熊谷陸軍飛行学校(現在の航空自衛隊熊谷基地)の分教場として、昭和12年6月、埼玉県北足立郡川田谷村(現在の桶川市川田谷)に開校しました。
現在も守衛所、車庫、営庭、本部兵舎、弾薬庫など当時の面影が残っています。 現在は、守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫が当時の姿に復元整備され、平和祈念館として活用されています。(桶川ウエブより)

●道の駅おけがわ(仮称)
[桶川市大字川田谷]城山公園近く
2025年オープン予定(新聞情報)

坂巻醬油店
[桶川市川田谷5628-4]

手島農園
[桶川市川田谷6617]

埼玉県桶川市で江戸時代から続く農家の18代目として1974年に生まれ、小さい頃は暴れん坊で遊び一筋の幼少期を過ごす。

中学時代からは勉強に目覚め、1995年、1年の浪人生活を経て明治大学法学部に入学し、学業の傍ら体育会スキー部の主将を務め、充実した学生生活を送る。

その後、1998年に株式会社明治に入社、名古屋で営業を10年、本社にてマーケティング及び営業統括を3年間経験し同社を退職する。

2011年4月より家業を継ぎ、トマト農家となり現在に至る。
趣味は陸上とギターの弾き語りで、農業をやりながら公私ともに充実した日々を送っている。
サラリーマン時代の経験を活かし、日本の農業界にBigwaveを起こしていきたい!