鴻巣から大宮台地・荒川左岸を下ります

神々の住む馬室の郷 ①聖徳太子塔、②勘兵衛稲荷神社、③川幅日本一、④巡排塔、⑤滝馬室氷川神社(700年代)、⑥ポピー畑、⑦常勝時(飛鳥時代創建) ⑧谷津不動尊、⑨観音堂⑩妙楽寺 ⑪雷電社 ⑫馬室埴輪窯跡 ⑬愛宕神社(1105年)

歴史的資源:聖徳太子塔、巡排塔、馬室埴輪窯跡

社寺散歩 ①勝願寺 ②法光寺 ③大野神社 ④滝馬室氷川神社 ⑤常勝寺 ⑥妙楽寺 ⑦原馬室愛宕神社

文化・社会資源 
・こうのす花まつり:こうのす花まつりは、「花のまち こうのす」をPRする一大イベントで、市内各所にある会場で様々な催しを行います。 日本一広いポピー畑(12.5ヘクタール)の「馬室(まむろ)会場(ポピー・ハッピースクエア)」、花畑と荒川水管橋のコントラストが美しい「吹上会場(コスモスアリーナふきあげ周辺)」、風情のある古民家や庭園を楽しむことができる「川里会場(花久の里)」、「花の環」会員宅を公開する「鴻巣オープンガーデン」、花を栽培している現場を見学することができる「花生産農家施設見学会」など、たくさんの花を楽しむことができます。(花まつりホームページより)

 

地域資源(分類表)として取り上げました企業、団体、コミュニティ様は筆者の 個人的見解 であります。

大人の地域再発見誌こうのす19号 を転載(許可済)

中山道には鎌倉時代創建の勝願寺があります。
東松山方面に直進、荒川の手前を右側には①と②、直進しますと③、消防署の手前を左折しますと伝鎌倉街道へ入ります。
①聖徳太子塔、
②勘兵衛稲荷神社、
③川幅日本一、
④巡排塔、
⑤滝馬室氷川神社(700年代)、
⑥ポピー畑、
⑦常勝時(飛鳥時代創建)
⑧谷津不動尊、
⑨観音堂
⑩妙楽寺
⑪雷電社
⑫馬室埴輪窯跡
⑬愛宕神社(1105年)などがあります

馬室の郷は、空が大きく林や森に囲まれ日本一川幅の広い景観は、大宮台地ならではの壮大な魅力です。

地域振興の団体・企業・コミュニティのご紹介は下段に掲載しました。

(以下、大人の地域再発見誌こうのす19号 を転載しました)
こうのすの歴史散歩より(第16回馬室)
 荒川左岸に広がる農村、馬室。馬室は市内でも早くから人間の生活が営まれ、縄文時代や古墳時代などの重要な遺跡が多くのこされています。

 約400年前までは滝馬室と原馬室はひつとの村であり、馬室郷と称されていました。そのな馬室の地名の由来は諸説あります。

「新編武蔵風土紀稿」には、「~村内の西方、百姓持ちの山内に土穴二カ所あり、戦国時代、里の民百姓が馬を武士に掠め奪われんことを恐れて穴を堀り、そま中に馬を隠しおきたる所にて~(一部加筆)」とあり、また、「昔は奥深かりし由なれど、今を埋もれて口の所のみ残れり(一部加筆)」と記されています。

つまり、丘の中腹に穴を掘り、室を作って馬を隠し置いたということから「馬室」の地名が起こったということです。

この話は実証がないため信憑性に欠けますが、この地が馬に関係あるということは間違っていないのではないかと思われます。

その理由として、「鴻巣の昔」に記載されている4点をご紹介します。1つ目は「原」とつく名が多いこと。原馬室・松原・小原などがありますが、馬を飼う牧場は平らなところ、つまり原であることが必要です。

2つ目は近辺に「東(あずま)」というところがあります。あずまは「遊馬(あつま)」が転じたものと考えられ、すなわち馬の遊ぶところ=牧場となります。

3つ目は原馬室に所在する野々宮神社です。野々宮神社は野原を御神体として祀っています。
⑧野々宮神社(野槌命)[鴻巣市原馬室806]

4つ目は原馬室と滝馬室に1つずつある観音堂ですが、ともに馬頭観世音を祀り、地域住民の信仰も厚かったそうです。 些か強引な部分もありますが、なかなか的を射ているのではないでしょうか。馬頭観世音は動物の供養塔としての意味合いが強いですが、愛馬への供養として祀られたものも多いそうです。(鴻巣市役所の生涯学習課・学芸員・栗原莉沙氏)

馬室郷は、旧足立郡石戸領に属し、滝馬室村と原馬室村の 2村と、原馬室村枝郷小松原からなる。馬室地区に初めて人の痕跡が現れるのは、赤台遺跡(大字原馬室)で確認された旧石器時代の遺物である。 また、古墳時代の埴輪窯、古代~近世の創建とされる様々な寺社仏閣、石像仏など、歴史の息吹を感じる史跡や建造物がある。

①勝願寺・・こうのす広場
[鴻巣市本町8丁目2-31]

②法光寺
[鴻巣市糠田1435]

放光寺は、武蔵国足立郡糠田を領していたという安達盛長が館の一画に創建したと伝えられている寺院。源頼朝の信頼を得て鎌倉幕府の重鎮として活躍し、頼朝亡き後、源頼家のもとで採られた「宿老13人の合議制」の一人となった。

③大野神社(須左之男命・大國主命)
[鴻巣市大間2-11-26]

第61代朱雀天皇(平安時代創建)、鎌倉末期に改築されその後文禄年中に北條の家臣道祖士満兼が再建とのこと。祭神は須左之男命と大國主命の二神。

④滝馬室氷川神社(素戔嗚尊)
[鴻巣市滝馬室1151 ]平安時代創建
荒川の低地を望む台地上に鎮座、境内の一角から清水が湧きだし「御手洗の池」となっており、更に滝となって当地一帯の耕地を潤している。
また、大蛇伝説(滝馬室的祭)も残されています。(鴻巣市教育委員会)

⑤常勝寺(飛鳥時代創建)
[鴻巣市滝馬室586]
常勝寺の創建は7世紀の創建とも伝えられ、1487年の銘の古碑が残されていたといいます。徳川家康の関東入国に際して1571年寺領15石の御朱印状を拝領、近郊に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院だったといいます。(猫の足あとより)

 

 

⑥妙楽時(室町時代)
[鴻巣市原馬室2967 ]
妙楽寺は室町時代(1394-1427年)に創建、鎌倉建長寺塔頭明月院惠範開山となり延命地蔵尊を本尊とし大工山妙楽寺と号し建立された。 坂東観音霊場15番。その後常勝寺の末寺となる。(猫の足あとより)

 

⑦原馬室・愛宕神社(軻遇突知命)
[鴻巣市原馬室2825]平安時代創建
 長治 2 年(1105)の創建と伝わる。社殿が乗る高まりは円墳とされる。本尊は江戸時代に製作された将軍地蔵騎馬像であったが、現在は妙楽寺に保存されている。また、敷地内の集会所(現在は保育園として利用)にはかつて渋沢栄一の書が掛けられていたが、現在は近くの個人宅で保管されている。
書は「共同一致 己巳元旦 九十翁 青渕書」とあり、亡くなる 2 年前の昭和 4 年(1929)に書かれたものである。(大人の地域再発見誌こうのす19号より)

上の富士山の写真は、愛宕神社の南の荒川河川敷きから撮影したものです。
大宮台地の荒川河川敷からは、天気が良い時は富士山が大きく見えます。
鎌倉武士は、富士山を見ながら上毛野国 (かみつけのくに・群馬県)に向かったことと思います。

⑨原馬室観音堂(江戸時代)
原馬室観音堂の創建年代等は不詳ながら、1804-1818年に妙楽寺住職が名主八郎右衛門の協力で伽藍を建立、馬持ちなど陸上運送業に携わる人々の信仰を集め、村の有力者を中心とした信者により護持されてきたといいます。(猫の足あとより)

 

こうのす花まつり (毎年5月)
[鴻巣市滝馬室御成橋]

・日本一広いポピー畑(12.5ha)の「馬室(まむろ)会場」
・約3,000万本のポピーが見渡す限りに広がります。
・駐車場 約500台
・お問い合わせ:鴻巣市商工観光課観光担当 
 048-541-1321
こうのす花まつりは、「花のまち こうのす」をPRする一大イベントで、市内各所にある会場で様々な催しを行います。
 日本一広いポピー畑(12.5ヘクタール)の「馬室(まむろ)会場(ポピー・ハッピースクエア)」、花畑と荒川水管橋のコントラストが美しい「吹上会場(コスモスアリーナふきあげ周辺)」、風情のある古民家や庭園を楽しむことができる「川里会場(花久の里)」、「花の環」会員宅を公開する「鴻巣オープンガーデン」、花を栽培している現場を見学することができる「花生産農家施設見学会」など、たくさんの花を楽しむことができます。
(花まつりホームページより)

◎聖徳太子塔(大人の地域再発見誌19号より)

◎巡排塔(大人の地域再発見誌)

◎馬室埴輪窯跡(大人の地域再発見誌)